レジェンド対談

オキナワプライド 沖縄の声を自民党へ 新たなムーブメントを起こす!
稲嶺惠一

稲嶺惠一

昭和8年(1933年)中国大連市生れ。1957年、慶応義塾大学経済学部を卒業。
いすゞ自動車を経て1973年、琉球石油株式会社(現在の(株)りゅうせき)に入社。
1986年代表取締役社長に就任。1998年12月の沖縄県知事選で初当選し、
2007年12月までの2期8年間にわたり沖縄県知事を務めた。
Q最近の沖縄の政局をどのようにみていますか?
稲嶺
稲嶺
私の知事時代とは比較にならないほど難しい。沖縄の政治が難しいのは、国益と県益が違うことがあるからです。それに、沖縄には独特の歴史が心に刻まれており年代ごとでも異なる。日本人として生まれた若い世代から、琉球政府時代に生まれた先輩方や戦前生まれの方。価値観の違う多くの人の心をつかむことは非常に難しいんです。
Q中央との対立も深まっているようにみえますね。
稲嶺
稲嶺
例えば普天間基地移設の話がでて25年。
本土と沖縄の経済人が沖縄のために活動している沖縄懇話会が今年で30年、そのメンバーの一人である諸井虔さんが大田昌秀知事から普天間基地返還の要望をきき、橋本龍太郎総理に進言して返還が決まりました。その諸井さんが私に何度もおっしゃったのは、「物事を進めるときは沖縄だけではだめ、国民の60%の理解を得ることが重要」ということ。つまり、沖縄だけでなく国民の理解も得ていく努力とリーダーシップが求められるんです。安里君は、全国組織の経済団体、日本青年会議所(JC)で沖縄出身者として初めて会頭に就任した。普天間基地移設問題も、今は絡まった糸がどんどんこじれているように見えますが、彼なら国益と県益を合致させながら、国民の支持も得て解決できると信じています。まさに今、沖縄に一番ふさわしいリーダーだと思うのです。
あさと
あさと
先日の県民投票の結果を受けて、沖縄の立場や考えを党や政府に強く訴えていくことが私の使命であり、私達世代の責任だと考えています。普天間基地の危険性除去は喫緊の課題ですから、自民党の中からムーブメントを起こすことが求められています。国会には約300名ものJCの卒業生が与野党を含め国会議員として活躍しており、僕がJCの会頭をした頃に知り合った方や仲間もたくさんいますので、初めての国政の場ですが幸いにして仲間がいるところからスタートが切れると思っています。
対談
Qあさと繁信さんに「沖縄の声を自民党にとどける存在になって欲しい」というエールを送られたと伺いました。
稲嶺
稲嶺
彼には「沖縄の自民党」を担って欲しい。
「ヤマトゥンチュになりたくてもなりきれないウチナーンチュの心」という有名な言葉があります。これは西銘順治元知事の言葉ですが、米国統治時代、西銘順治さんは沖縄へ非常に強硬姿勢を示したキャラウェイ高等弁務官に反発し、大田政作行政主席の与党であった沖縄自由民主党を脱党した。つまり、沖縄に理不尽なことには従わなかった。沖縄の自民党という感覚をもっておられた政治家だったと思います。安里君にもそんな気概を持って挑んでほしい。
Qあさと繁信さんに期待することは?
稲嶺
稲嶺
昨年の県知事選挙で予定候補からおりたこと、この挫折が大きなプラスになり、安里君の視野が大幅に広がった。
人物が大きくなった。それに安里君には「沖縄をこうしたい」という明確な夢があるから、人が集まってくる。ただ、夢がある人は自分本位になりがち。安里君はこの点はまだまだなところはありますが(笑)、この1年で急激に改善して成長しているので私も驚いています。
私の知事時代に開通したモノレールは、実は西銘県政時代の計画です。つまり、今、物事が進まないと10年後、20年後の沖縄に悪い影響がでる。
だから100点満点を目指して結果0になるのではなく、取り得る最高の得点を取ることが大事です。県民の思いを的確にとらえて、ベストではなくともベターを目指し、相手としっかり交渉し勝ち取ることを安里君には期待しています。
あさと
あさと
次期沖縄振興計画の策定にむけた大切な3年間がスタートします。オキナワプライドの気概をもって、県民の思いがつまった半世紀先の沖縄の未来を見据えた計画策定に携わるべくがんばっていく決意です。
対談

インタビュアー

浅野 朝子

世界のブエノチキン合同会社 代表 浅野 朝子

1982年那覇生まれ。立教大学卒業後、沖縄県内の広告代理店に勤務ののち、両親の店「ブエノチキン浦添」後継に。2017年に店を法人化し代表就任。本業の傍ら、安里繁信ブログ「しげ脳」のインタビュアー、編集者として安里の活動を発信している。